これが2chの泣ける話だ!


1 :閉鎖まであと 9日と 21時間: 投稿日:2007/01/13(土) 23:47:28.23 ID:3ZZP3B8E0


 母のお弁当 

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。


6 :1/2: 投稿日:2007/01/13(土) 23:48:28.68 ID:3ZZP3B8E0


不倫していた。
4年間も妻を裏切り続けていた。
ネットで出会った彼女。
最初は軽い気持ちで逢い、次第にお互いの身体に溺れていった。
幸い、ずる賢く立ち回ったこともあり、妻には全くばれなかった。
彼女と関係を持った夜、遅く帰っても、ただにっこりと迎えてくれる女だった。

しかし、そんな関係がずっと続くわけはなく。
最近、彼女から別れを告げられた。
新しく好きな人が出来たとのこと。
まあ、よくある話し。
独身の彼女にそう言われれば、責めることも出来ない立場であって。
ただ「よかったな」と強がりを言い残して別れた。

4年も付き合っていた女と別れるというのは、想像以上に辛いものだった。
心の中にポッカリと開いた穴は、容易に埋められるものではなかった。
その寂しさを紛らわすため、これまで全くかまってやれなかった妻に、白々しく優しくしたり、遅くまで思い出話をしたりなんかして。
妻も、結婚後久しく見せなかった笑顔で、俺の話しに付き合ってくれた。


7 :2/2: 投稿日:2007/01/13(土) 23:48:47.79 ID:3ZZP3B8E0


機械音痴な妻に、携帯メールを教え込んだ。
彼女からパッタリと来なくなったメールの寂しさを紛らわすため。
我ながら、その動機の不純さにあきれながらも、あまり期待もせず妻からのメールを待った。

ある日のお昼前、携帯にメールの着信音が響いた。
妻からの初メールだった。
何げに開いてみた。
涙が出た。止め処もなく涙が出た。


「初めてメエルします 線が引けない もつとちやんと、習ておけばよかた でも今はすごく幸せて感じかな」


こんな不器用なメール、見たことねぇよ。
俺は今まで、何やってたんだろう。
自分の不甲斐なさや汚さ、妻に対する愛おしさがごちゃ混ぜになって、とにかく涙が出た。
こいつを一生大切にしてやろうと思った。

長文スマソ。なんか俺だけが泣ける話しだな。読んでくれた人、ごめん。


9 :閉鎖まであと 9日と 21時間: 投稿日:2007/01/13(土) 23:49:23.27 ID:3ZZP3B8E0


4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、

「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」

と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。



10 :閉鎖まであと 9日と 21時間: 投稿日:2007/01/13(土) 23:49:50.41 ID:3ZZP3B8E0


親父が死んだ。
最後に私が放った言葉「いちいちうっさいんじゃ、ぼけっ! あっちいけよ!」

どうして謝らなかったんだろう。病気だってわかってたのに。
でも深刻なもんじゃないって思ってて。
死ぬなんて思わなかった。
もう謝ることもできない。
たくさんの親不孝を思い返して、葬式から数日たってから泣いた。

この後悔は一生続く。まじ鬱・・・。



11 :閉鎖まであと 9日と 21時間: 投稿日:2007/01/13(土) 23:49:53.44 ID:xNhfO1cu0


「生まれたときから目が見えない人に、空の青さを伝えるとき何て言えばいいんだ?
こんな簡単なことさえ言葉に出来ない俺は芸人失格だよ」 – 江頭2:50


「目の前で悲しんでいる人を見つけたら何とかして笑わせたい。
そのためなら警察につかまってもいい。寿命が縮まってもいい」 – 江頭2:50


「気持ち悪いって言われることには慣れたけど、たまにしねって言われるんだ。
俺は言ってやりたいよ。こんな人生死んだも同然だってね。」 – 江頭2:50


「これをやったら次回出られなくなるんじゃないかなんて考えないようにしている。
人間いつ死ぬか分からないからその時のすべてを出し切りたいんだ。
俺はいつ死ぬか分からないし、見てくれてる人だっていつ死ぬか分からない。
視聴者が最後に見た江頭が手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?」 – 江頭2:50


12 :閉鎖まであと 9日と 21時間: 投稿日:2007/01/13(土) 23:50:12.26 ID:3ZZP3B8E0


中学3年の時、クラス中から嫌われていた。
学校に行きたくなかったけど、はぶられてることを親に言えるわけもなく
毎日ぼやぼやと学校に行っていた。
ある日の帰り道、犬が一匹ぼーっとこっちを見ていた。
給食の残りのパンをやると食べた。
すごく「俺が好き」という目をしてついてきた。
こんな嫌われ者の自分を好きでついてきてくれる犬が
世界で唯一の味方のように思えて涙が出てきた。
その犬は俺の家で10年過ごして死んだ。
かわいかったよ。ありがとな。


18 :閉鎖まであと 9日と 21時間: 投稿日:2007/01/13(土) 23:54:25.63 ID:D8ixSfMd0


オレはすげぇおばぁちゃん子なんだが、これには訳がある。
オレん家には母はいない。離婚したんだが、親父がほんと人間腐ってる(オレは親父似)。そんなこんなでオレは小5くらいからずっと祖父母と暮らしてきたんだ。
そして先々月ばぁちゃんが胃がんで逝っちまった。
ホント発覚してから半年ぐらいで。最期なんて、あんなに気丈だったばぁちゃんが見る影もないくらい衰弱しちまってて直視できなかったよ。
んで、ついこの前、夢を見た。場所はオレん家でリビングなんだがばぁちゃんがコタツに入ってテレビを見てる。
「あれ?ばぁちゃん…」
死んだんじゃ?って言おうと思ったんだが声にできない。そんなこんなでオレが軽く混乱しているとばぁちゃんがテレビ観ながらオレに
「がんばりや」(頑張れよ)
そこで目が覚めた。今まで泣いた事なんてほとんどないのに不思議と涙がボロボロ流れた。
とりあえずバイトでもいいから働こうと思う。ばぁちゃんに『もう大丈夫』って言えるような大人になるためにも。
ばぁちゃん、ありがとう。


23 :閉鎖まであと 9日と 21時間: 投稿日:2007/01/13(土) 23:58:38.87 ID:nzGebuWV0


俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びた
ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。



34 :閉鎖まであと 9日と 20時間: 投稿日:2007/01/14(日) 00:16:26.94 ID:YW7b+56S0


オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。



35 :閉鎖まであと 9日と 20時間: 投稿日:2007/01/14(日) 00:17:44.37 ID:jUsz4UgC0


小1の頃、ばあちゃんに旅行の土産にと「ドラクエ2」を頼んだ。
でも買ってきたのは黄金に輝くソフト「ドラゴンバスター」。
当時60歳くらいだったばあちゃんにはそんな違いわかるはずも無いのに俺はばあちゃんが憎くて、
「ばあちゃんなんか嫌いだ!!」
といってその日は一言もばあちゃんと話さなかったっけ。
物心ついたときから毎日いっしょに寝てたばあちゃん。
でもその日だけは両親と一緒に寝たんだ。
ばあちゃんその日は寂しかったろうな。
んで、次の日学校から帰ってしょうがなく「ドラゴンバスター」をやってみた。
そしたらこれが以外に面白い。
夢中になって遊んでいるとばあちゃんが突然部屋に入ってきて、
「ごめんなぁ。○○○。ばあちゃん馬鹿だがらわがんねくてよぅ・・・(山形弁)」
俺はゲームに夢中で「もういいから!入ってくんな!!」
そう言われた時のばあちゃんほんとに悲しそうな顔してた。
でも、「ドラゴンバスター」が面白かったから怒りなんてとっくに忘れてその日はいつもどおりばあちゃんの部屋に行った。
布団に入るとばあちゃんがぎゅっと抱きしめてくれた。
俺はその日ばあちゃんに抱きしめられながらばあちゃんの腕枕で眠った。

ばあちゃんが死んでもうすぐ5年。
ばあちゃん、あの時は本当にごめんね。
急病で亡くなったばあちゃんに俺は何もしてあげられなかったけど、
一人暮らししている今でもあの「ドラゴンバスター」は大事に持ってるよ。
ばあちゃん、いろんな思い出をありがとう。


41 :閉鎖まであと 9日と 20時間: 投稿日:2007/01/14(日) 00:26:48.73 ID:d4ZY/sH/0


俺が盲腸で入院してた時、隣でいつも元気に話してくれた君。
雪のように真っ白で、とても可愛かった君。
俺のほうが先に退院したけど毎日のようにその子に会いに行った。
きっとこれが初恋だったんだなって、今思い出しても顔がにやけちまう。
でも君は急に居なくなった。もう手の施し様が無いほど病状が進んでいたなんて居なくなってから知った
退院したら一緒に遊びに行こうって約束してしまった。行けるはずもない海に一緒に行こうって約束させてしまった。
そんな思い出の一つでもあればいいのにな。


42 :重力: 投稿日:2007/01/14(日) 00:27:10.85 ID:9Z6Nwhq20


ぼくの頭は生まれつき 変です

重力に逆らいながらも、髪は伸び続けます

そのせいで ぼくは引きこもりがちになりました

そんな時 たすけてくれたのは、妹です

妹は いつも ぼくをたすけてくれました

でも そんなある日 雨をはじいているひとに 妹はころされました

そのじけんがきっかけで ぼくの髪は成長を止めました

そんな時に現れたのが 最高にハイな人です

彼は ぼくに色々なじょうほうをくれました

それで ぼくは妹のかたきがとれました

でも でぃおさんは不良にころされてしまいました

今 ぼくはかめのなかで暮らしています

だれか ぼくに再び重力を味合わせて・・・



44 :閉鎖まであと 9日と 20時間: 投稿日:2007/01/14(日) 00:28:52.61 ID:QtMdH2px0


>>42
2回読んで理解したわろたww


46 :閉鎖まであと 9日と 20時間: 投稿日:2007/01/14(日) 00:33:22.42 ID:jMiBa6cm0


>>42
ワロタwwwww重力www


47 :閉鎖まであと 9日と 20時間: 投稿日:2007/01/14(日) 00:35:18.71 ID:UkXABsiT0


2ch閉鎖のニュースと時を同じくして
友達が急性白血病だと聞かされた。
今は泣ける2ちゃんねる読まなくても
涙が止まらない。
27歳の彼には7年ほど同棲している歳の離れた彼女がいた。
彼女が俺に昨日、泣きながら電話をかけてきて
区役所に代わりに婚姻届を取りに行ってくれないかと言ってきた。
入院の手続きや家族への連絡で間に合わないらしい。
自分も仕事だったのでさらに人に頼んでとってきてもらった。
今まで親の反対やら、日々の生活に追われて入籍していなかった二人がやっと・・・

夜中にひとりぼっちで家にいる彼女を、ビール片手に訪ねていった。
俺は一人でビールを飲みながら
「入籍すんだねえ。」
といった。
彼女が、
「ほんとは向こうの仕事が落ち着いたら春くらいに入籍しようとか話してたんだけどね~」
なんていうから、
「それ、2chとかでよく言われてる奴じゃない!この戦争が終わったら結婚しよう・・・ってやつ。」
「ははは、まさにそれ!映画でもよくあるよね~」
二人で笑って
そして彼女だけ泣いた。
俺はビールを飲みほした。



91 :閉鎖まであと 9日と 16時間: 投稿日:2007/01/14(日) 04:20:53.82 ID:dTI+4BI/0


どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!

どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!

もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!


92 :閉鎖まであと 9日と 16時間: 投稿日:2007/01/14(日) 04:21:19.92 ID:dTI+4BI/0


死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!

そんなあんたが死んで5ヶ月…
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。


96 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 11:34:23.76 ID:b2ehwpNd0


糖尿病を患ってて、目が見えなかったばあちゃん。
一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする(母が仕事で家に居なかった為)。

一緒に買い物行ったり、散歩したり。
だけど、ばぁちゃんが弱っているのは子供だった私でもわかっていた。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。
たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。
それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。
私のことも、わからなくなってるらしい。
なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。


それから。
半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。


葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。

「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」

そう言って、私に封筒を手渡した。
ばぁちゃんの字で、さぁちゃんのって書いてあった。
中身は、通帳だった。私名義の。
二十万ほどの預金が入っていた。
働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。

そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」



その夜、初めて泣いた。



ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。



98 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 11:35:56.46 ID:b2ehwpNd0


昨年の話だが、俺の婆ちゃんが入院した。
もう80才近くで結構ぼけも入っていた。
次血圧が下がったらやばいかも、と言われていて、
いざというとき用に喪服も買っていた。
正直小さい頃婆ちゃんとよく遊んだらしいが
あんまり記憶もなく、中学くらいで親が離婚して
父と離れて暮らすようになってからは(父方の婆ちゃんだったので)
顔も合わせていなかったので、そんなにつらくはなかった。
見舞いに行っても俺の顔を見ても不思議そうな顔をしていた。

ある時具合が悪くなり、もしやということで親戚中に連絡が行った。
俺ももちろんかけつけたが、どうやら持ち直したようで、
親戚中が安堵して婆ちゃんの前で談笑していたとき。
親戚の誰の顔を見ても何も思い出さなかった婆ちゃんが、ふと俺の顔を見て
「三味線は?」
とはっきりつぶやいた。
俺達は驚いた。
いったいなんのことかと俺と俺の家族以外は
うろたえたが、俺たちにはわかった。


俺がまだ小さかったとき(確か幼稚園)
なにか楽器を習わせようと親が婆ちゃんに相談した。
婆ちゃんは琴をひけるひとだったので、三味線を○○ちゃんがひけたら一緒に演奏できるから
と言う理由で三味線を薦めた。
それから約10年くらい、
親の離婚でゴタゴタするまで俺は三味線を続けていて
そのときまで正月婆ちゃんにあったときは嬉しそうに
どれくらい演奏できるようになったのかと聞いてきていたっけ。
当時俺は実は古くさい三味線がイヤでイヤでしょうがなかった。
引っ越しのどさくさで辞めることができて嬉しかったりもした。
あれ以来三味線に触っていないし、思い出すこともなかったが
婆ちゃんがそのことだけを覚えていたのかと思うとなんだか無性に涙が出た。

「まだやってるよ」
と俺は嘘をついたが、もうそのときには
婆ちゃんはあらぬ方向を向いていた。
生きてるうちに婆ちゃんの前で弾いてやらなくては、と
慌てたが昼食を取っている間にばあちゃんの様態が急変した。
今更焦ってももう遅かった。
その日の夕方婆ちゃんはいってしまったが、
何故ばあちゃんが俺の三味線を聞きたがっていたことを思い出して
弾いてやらなかったのか、今でも悔やまれる。
葬式の日に婆ちゃんの家に行くと小さい頃遊んでもらった記憶が
とにかくいろいろ思い出されて、涙がとまらなかった。
そういえば俺が三味線をやっているから婆ちゃんは俺をひいきして
お年玉が少し多かったりもしたんだ。
あれだけ泣いた葬式も初めてだった。

で、仕事が落ち着いてきたのでまたはじめようかと思ってる。
感覚を取り戻したら仏壇の前で弾いてやろうと思う。


100 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 11:38:48.02 ID:b2ehwpNd0


私の母が去年他界しました。
昔から働きづめでおばあちゃんに育てられたような私。
幼稚園や学校での母親と一緒の行事に、お母さんの姿はなかった。

私の結婚が決まった頃、母は定年をむかえていた。
「あんたには、寂しい思いをさせとったし、あんたの孫はよう可愛がって
やりたいわ。おばあちゃん子にしてやるわ。」
しかし、そんな母の期待をよそに、なかなか妊娠出来ずに病院に通う日々が
5年続いた。丁度その頃、母が持病で通っていた病院から電話が入った。
「先日定期検診したのですが、、、胃の方にガンが見受けられます。」
すぐに手術をしたが医者の判断はあと半年という事だった。
「私もしかしてガン?」
母の問いかけに「そんな訳ないやん」と、必死に笑って答えた。
病院の帰りの車の中でいつも、大泣きしながら帰った。
そんな中、私が妊娠しているのがわかった。
母も、偉く喜んで、医者も驚くほど元気になった。
お腹が8ヶ月になったその日に、母は息を引きとっった。
あともう少し、あともう少しで「おばあちゃん」になれたのに、、、、、
病院で、母の荷物を整理していると、机の引き出しの奥からちっちゃな白い
毛糸の帽子と、作りかけのアフガンが出てきた。
裁縫が得意でない母、きっと何度も何度も編みなおしたであろうちぢれた糸がたくさん出てきた。私はそれを握り締めて、嗚咽が出るほど泣いてしまった。その時の子がもうすぐ一歳。

帽子ももうちっちゃくなったよ、おばあちゃん。


101 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 11:44:21.47 ID:b2ehwpNd0


中学から親元離れて進学した私を心配して、車で6時間くらいかかるところまで
しょっちゅう会いに来てくれていた両親。
子供にお小遣い渡すのが嬉しくて、わざわざ小銭を用意したのを内緒にして
「お父さん小銭が沢山あって邪魔だからおまえにあげるよ」と言って小銭をくれた父。
免許を持っているのは母だったから、母は私あいたさに6時間の道のりを休まずに運転する。

製造卸業で私が幼い頃は規模縮小して子供の時間に合わせられるようにしてくれていた両親。
子供が離れたところに進学して、二人して子供のいない時間が寂しすぎて規模をまた大きくした両親。
母が言っていた「このお店はおまえの学校分」「こっちのお店はおにいちゃんの学校分」そう思いながら仕事していると。

仕事をやめ、悠々自適の老後を過ごし始めた時に発覚した母の癌。特殊なもので治しようがなかった。
告知されて「でも二人の結婚式姿を見れただけ私幸せだった」と笑う母。
私が飛行機でお見舞いに行く日は、病室から見える飛行機を見て「ああ、あれにあの子が乗っているんだねぇ」と喜んでいたという母。
亡くなる時には集まった人たちに「ありがとう」といい、父に「お願いね」と言って安らかに死んでいった…。
亡骸を病室から運び、病室の引き出しにあるものを整理していたときに見つけたのは、私と兄の母子手帳。
それをたまに見ながら、幼い日の私達を思い出していたのだろうと思うと泣かずにはいられなかった。

父はまだ母の事を愛していて、どこへ行くのでも母の写真を胸にしまっている。
こんなにお互いを愛せた夫婦の子供でよかった。
そして子供に惜しみない愛をくれる両親に育てられて、自分は本当に幸せだと思う。


102 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 11:51:05.26 ID:b2ehwpNd0


9年前のこと。それまで病気なんでしたことが無かった母親が急に他界した。癌だった。
俺はそれまで親孝行なんてしたことが無く、とてもいい息子とはいえなかった。
葬式等が終わり、一人暮らしをしている部屋へ戻り、腹が減ったので冷凍庫をあさっていると、
そこには母親が作って送ってくれた惣菜(切干大根の煮物、きんぴらごう)があった。
それらを食べていると涙が止まらなくなった。
「ああ、これが最後のお袋の味なんだ。」って。
一口々噛しめて食べたさ。ろくでもない息子のためにわざわざ作ってくれたことに感謝しながら。



103 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 11:54:16.53 ID:b2ehwpNd0


先日、二十歳になった日の出来事です。
「一日でいいからうちに帰って来い」
東京に住む父にそういわれ、私は就職活動中なのにと思いながらしぶしぶ帰りました。
実家に着いたのは夜で、祖父母と妹はもう既に寝静まっていました。
父だけが起きていて、そのあとしばらく現状を話していたのですが、会話もとぎれ、さぁ寝ようという時、
いきなり父は一枚の写真を私の前に差し出しました。それは、父が若いころの写真。隣には綺麗な女の人が写ってる。
「お前と**(妹の名前)を産んでくれた母さんだ」
父はそういって、初めて本当のことを話してくれました。
母はあまり体が強い人ではなかったそうです。私を産むのですらやっとで、未熟児だった私よりずっと後に退院したこと。
妹が出来たとき家族中の反対を押し切って産むと決めたこと。
生まれたばかりの妹と、私を抱いて死んだこと。私達姉妹の名前は母さんの名前から取ったこと。
母さんが寂しくないようにと、私達の写真や父さんとの昔の思い出の写真を、全て棺に入れたこと。
だけどそれでは悲しくて、一枚だけ取っておいたこと。
セブンスターをいつものようにふかしながら、父はいつもより歳をとって見えました。
「お前達にお母さんがいなくて寂しい思いをさせたこと。コレが一番お前達に申し訳ないと思っている。すまなかった!」
父さんはそういって、私に泣きながら土下座をしました。写真の中の父と母の笑顔が、とてつもなく切なかった。
母がいない分、祖父と祖母に育ててもらうのが多くて、それが当たり前だと思っていたから寂しくなんて無かったのに。
土下座している父と一緒に、私も泣いてしまいました。
父は私達が二十歳(大人)になるまで、このことをずっと一人で抱えていたのだろうか。
そう思ったら、あまり体の大きくない父の背中が、切ないくらい大きく見えた。
母以外の女性に見向きもしない父を、誇らしいと思った。
お母さんがいないということ。だからお母さんの分まで愛情を注いでくれたこと。今ならすごくよく分かります。
お父さん。
ありがとう。
お母さん。
産んでくれてありがとう。
就職活動、頑張ります。


104 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 11:56:36.53 ID:b2ehwpNd0


子供の頃、母にくっついて近所のスーパーに買い物に行くのが好きだった。
小学生くらいになると、荷物を母と手分けして持って帰るようになった。
子供の私には、パンやお菓子といった軽いものしか入っていない袋を渡し、
牛乳やビンの入った重い袋を提げる母。
その習慣は私が大人になってもずっと変わらなかった。
そして私は結婚して、母のようにスーパーに買い物に行くようになった。
先日、実家に帰ったときに母と久しぶりに買い物に行った。
母は昔と同じように、軽い袋を私に持たせようとした。
私は「私だって今は毎日これくらいの荷物持ってるんだから」と笑って、
重いほうの袋を持った。
「ああ、そういえばそうだねー」と母はちょっと寂しそうに笑った。
この人の前じゃ、私はいつまでも子供なんだな。
今までありがとうお母さん。もう楽していいんだからね。


105 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 11:58:16.83 ID:b2ehwpNd0


俺も小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエ口ビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・

病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
 お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
 今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。

そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。

お父さん、お母さん、ありがとうございます。


107 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 12:02:23.54 ID:b2ehwpNd0


漏れの母ちゃん、去年死んだんだけど、原因は脳腫瘍。
前日までむちゃくちゃ普通で、病院から連絡あった時は夢かと思った。
もう長くないって言われても実感わかなかったし、見た目も以前と変わらないし。
病気なんてウソなんじゃねぇの?って思ってたけど、なんかやっぱり
日に日に弱ってくんだよな。
脳腫瘍って結構オニで、漏れの母ちゃん、だんだん赤ん坊みたいになってくんだよ。
飯も自分じゃ食えねえし、排泄も一人じゃ無理、しまいにゃ喋らないんだ。
一言も。最期近くなってくると、一日のうちほとんど寝てるし。
見ててマジつらいんだけど、それでも母ちゃんが「いる」ってだけで
心のよりどころになってたのも事実。
死んだときも、生活に変化どころか逆に体力的にも金銭的にも楽になった
んだけど、例え赤ん坊でも生きててくれたほうがよっぽどマシ。
漏れほとんど泣かないやつだけど、母ちゃん死んだ夜から少なくとも3日は
気を抜くと涙出てた。
母ちゃんになんもしてねぇよ。だってあと20年は生きると思ってたし。
漏れの寿命3年でも5年でも縮めていいから、1年でもいいから
親孝行する時間をくれってずっと思ってた。

明日親が死ぬという可能性は誰にだってある。
毎日親孝行しろとは言わねーけど、折をみてしといたほうが絶対後悔しないぞ。

長くてスマソ もうすぐ母ちゃんの命日だからどうしても書きたかった。


108 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 12:10:21.22 ID:b2ehwpNd0


「もう死にたい・・・。もうやだよ・・・。つらいよ・・・。」
妻は産婦人科の待合室で人目もはばからず泣いていた。

前回の流産のとき、私の妹が妻に言った言葉・・・
「中絶経験があったりすると、流産しやすい体質になっちゃうんだって。」
そのあまりにも人を思いやらない言葉に私は激怒し、それ以来妹夫婦とは疎遠になっている。

妻は口には出していないが、もの凄く辛い思いをしていたと思う。
だから、今日までなんとか2人で頑張ってきたが、3度目の流産。
前回も前々回の時も「また、頑張ろう」と励ましてきたが
励ます言葉が妻にプレッシャーをかけるような気がして、何もいえなかった。

いや、そうではない。今考えるとおそらく、3度目の流産を告げられて
子供がいない人生を私は模索し始めていたんだと思う。
私は、冷淡な動物だ。情けない。

「ごめんね・・・。でも、もう私頑張れないかも。もう、駄目だと思う。」
待合室に妻の嗚咽だけが響く。
「ううん・・・○○(妻の名前)が悪いわけじゃないんだから。
 こればかりは、運だから・・・・。」
それ以上、かける言葉が見つからなかった。


その時、妻の隣に4~5歳ぐらいの男の子が座った。

「あのね、これあげるから、もう泣かないで」

その子が差し出した手の上には2つの指輪。おそらくお菓子のおまけだと思う。

「水色のは泣かないお守り。こっちの赤いのはお願いできるお守り。」
「いいの?だって、これ、ボクのお守りなんでしょ?。」
「いいよ、あげるよ。ボクね、これ使ったら泣かなくなったよ。もう強い子だから、いらないの」
「赤い指輪は?。お願いが叶うお守りなんでしょ?。これは、いいよ」
「これね、2つないとパワーがないんだって。おとうさんが言ってた」

そう言うと男の子は「だから、もう泣かないで」と言いながら妻の頭を撫でた。
少し離れたところから「ゆうき~、帰るよ~」という彼のお父さんらしき人が彼を呼ぶと
男の子は妻の膝に2つの指輪を置いて
「じゃあね、バイバ~イ」と言って去っていった。

今時珍しい5分刈頭で、目がくりっとしたかわいい男の子だった。
私はその子の後姿をずっと目で追っていたが、ふと隣を見ると
妻は2つの指輪をしっかりと握り締めていた。

迷信とか宗教とかおまじないとか、そういったものはまったく信じない2人だけど
この指輪だけは、私たちの夢を叶えてくれる宝物に見えた。

その日から妻は、さすがに子供用の指輪なのでサイズが合わないため
紐をつけてキーホルダーにしていた。


それから2年半後の今年2月9日、我が家に待望の赤ちゃんが誕生した。
2770gの女の子。
名前は、あの男の子にあやかって「有紀(ゆうき)」にした。
生まれる前から、男の子でも女の子でも「ゆうき」にしようと決めていた。

ゆうきくん、あの時は本当にありがとう。
あの時、君に会えていなかったら、
君に慰めてもらえなかったら
今、この幸せを感じることはできなかったと思う。
私たち家族は、君に助けてもらいました。

君からもらった2つの指輪は、
娘のへその緒と一緒に、大事に保管してあります。
我が家の宝物です。
うちの娘も、君のように人に幸せを分けて上げられるような
子に育って欲しい。
本当に、本当にありがとう。



111 :閉鎖まであと 9日と 9時間: 投稿日:2007/01/14(日) 12:15:42.95 ID:b2ehwpNd0


俺が結婚したのは俺が20、妻が21の時で、学生結婚だった。
二年ほど、貧乏しながら幸せに暮らしていたが、あるとき妊娠が発覚。
俺は飛び上がるほど嬉しくてひとりではしゃぎ、
無茶はするな、という妻の言葉も無視し次の日には退学届けを提出。
叔父さんの経営している会社にコネで入れてもらった。
まあ、とにかく俺はやる気満々で働きまくって子供元気に育てるぞ!
ってなもんだった。単純だった。

その後しばらくして交通事故で妻がお腹の中の子と一緒に死んだ。
このあたり本当に今でも良く思い出せない。
なにやら言う医者につかみかかって殴り飛ばしたこと、
妻を轢いた車の運転手の弁護士を殴り飛ばしたことは
うっすら覚えている。(むちゃくちゃだ)

そのあとは本当に記憶が曖昧だが、
葬式もきちんとすませ、手続きなんかもテキパキこなし、
何日か実家で休んだあと家に戻った。
それからは日付の感覚もなく、テレビも見ず、ただ米を炊いて、食って過ごした。
自分が鬱なのだとか落ち込んでいるのだとかそういう思考もなかった。
自分でも状況がよくわかっていなかった。
なんとなく、カッターで指先を軽く切っては治るまで放置する、
とかいう今思うとほとんど病気(そうだったのだろうが)のような
事を繰り返して過ごした。
死のうという気持ちもなかったと思う。
当時のことを友人や親に聞くと、様子伺いの電話などには
きちんと受け答えしていたというのだがあまり覚えていない。
おそらくそんなこんなで半年は生活していたと思う。

ある時夢を見たが、何の夢かは覚えていなかった。
とにかくひたすら謝っていたように思う。
ふと目が覚めて、ああ、なんか悪夢をみたなと
体を起こしてその光景に心臓が止まるかと思った。

目の前に小さな女の子がちょこんと座って俺を見ている。

なんだこれは、夢か?まだ夢か?と思いながら
自分の心臓の鼓動で視線がぐらつくのを感じてびっくりした。
とっさに水子の霊だと思った。死んだ俺の子が化けて出たと思った。
そのときがはじめて自分の妻と子供が死んだとちゃんと
認識した時だったように思う。

その子が、「大人なんだから、ちゃんとしなきゃだめなんだよ!」
と俺を叱りつけた。
もう混乱に継ぐ混乱だ。汗なんかダラダラ出て、
俺、心臓麻痺で死ぬんじゃないかと思った。寝起きだしなおさら。
そのとき、部屋のドアから大慌てで隣の部屋の奥さんが入ってきた。
「すみません!この子勝手にはいっちゃって・・・」
そこでやっと現状を把握した。

よくよくみれば、この子は隣の家の子共で、
妻がいた頃はなんども会話を交わしたことのある子だった。
ドアを開けっ放しにして寝ていたところに入ってきた実在の人間だ。
幽霊じゃない。
ああ、違うのかと思った瞬間、
なんだかベロリと目の前の幕がはがれたような感じで、
俺はその子にしがみついて号泣していた。
「すいません」と「ありがとうございます」を意味不明に連発していたと思う。

あとから聞いた話では、そこの一家はひきこもっていた
俺のことを心配してくれており、
何度も夫婦で何をして上げたらいいか、と相談していたらしい。
その相談を一人娘のその子は聞いていて、
落ち込んだ大人を励ましてやろうと活を入れにきたらしい。すごいやつだ。

とにかく、その日がきっかけで俺はカウンセリングに通い、二ヶ月ほどで職場復帰。
届けも出さず休んでいた俺を休職扱いにしてくれていた叔父は
快く迎えてくれ、しばらくのあいだ毎晩メシをおごってくれた。
隣の夫婦とも仲良くなり、寝起きの悪い旦那を起こしてくれとか言う理由で
毎朝家に呼ばれ、朝飯をごちそうになった。(かなり強引だ)
とにかくもう俺の周りの人間が神級にいいひと達だった。
俺は救われたし、妻と子供の死をちゃんと悲しむことができた。

で、その娘さんが先月結婚した。
(すでにその隣室の親子はマイホームを建て引っ越していったが未だに仲良くしてもらってる。)
親戚が少ないから、とか言う理由で式にまで俺が呼ばれ、
親族紹介のあとその子と話す時間があった。

俺とその子は口が悪い感じの関係で(15も年が離れているのに)、
その日もあまりにも綺麗になったその子に動揺して
「オメーまだ18才なのに結婚しちゃってもったいないな」
などと俺が言うと笑いながら
「寂しいのか、あんた?」などといいやがるので
寂しいよ!と言った。

俺は昔、お前に助けてもらった、おまえのお父さんとおかあさんにも
助けてもらった、だからお前のこととても大好きだ、
だから寂しい!とまくし立てるとまた号泣していた。
30過ぎたおっさんがヒックヒック言いながら花嫁の前で号泣だ。
はずかしい。気づくとその子も大泣きだ。
新郎側はびっくりしただろうな。
親以外のおっさんと新婦が大泣きしてるんだから。

俺は今でも結局独り身だが、
その子が困ったらなにがなんでも助けてやろうと思っている。
恥ずかしいのでその子には言わないが。
もう俺にとってはあの子は自分の娘みたいなものなのだ。
なにぶん前半は10年くらい前のことなので
なんだか人ごとのように淡々とした文章で申し訳ない。
本も読む方じゃないし文章も稚拙ですまん。

漫画みたいな話なので2ちゃんで書くのは恥ずかしいと思っていたが
このスレを見ていたら俺も書き込みしたくなった。長文すまん。